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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

バンド関係のこと 2

2007/02/15
凱旋? 「バンドマンの語り場(9379)」 [ 最近のことの日記 ]
 凱旋…とはちょっと違うかも知れないが、今日、○○グリーンプラザけやきホールを20年ぶりに訪れた。

 C校の特学の「劇と音楽の会」なるものがあり、そのリハーサルをやりに(本番は後日)引率して行ったのだ。

 20年以上前は、大学の音楽サークルの定期演奏会の思い出の場所。

 初めて都会に来た1年生の時、よくわからないままローディ(バンドの荷物運びやセッティング)の仕事をして、そのうちH沢とふざけていて挟まれそうになってしかられたステージのせり上がりエレベーター。

 やたらと歩き回って宣伝のパンフレットを配った駅前。今は立体交差で駅もグリーンプラザもつながり、なんだか違う場所のようだ。

 2年生の時に初めてここのステージに立ったが、よく考えると学校以外の場所で人前でやったのはここが初めてだったはず。その後始まる当時は予想がつかないほどの数多くのライブ(200本くらい?)の自分の原点はここにあったんだなあ…とちょっと涙目になった。

 ステージの見た目も当時のまま、客席も、天井も当時のまま…それじゃホールとしてやばいような気もするが、見た目は同じままリニューアルしているのかも知れない。

 今来ると、あの大きいと思っていたステージがすごく小さく感じてしまう…あのときの緊張感(大舞台に立つという)は何だったんだろう…かわいいぞ、二十歳前の俺…と思った。

 そんな感傷に浸る時間もつかの間、昼食に着替えに生徒は大忙し。楽屋が別棟の違う階にあってすごく遠いことも20年前と同じだ(笑)。普通、楽屋からステージにはそれなりの通路があるものだが、相変わらずないようだ。

 でも、全然違う世界の住人で、当時教師になるなんてみじんも思っていなかった自分がここに違う役割で来たことに結構感動した…人生は色々だな…と思いにふけられる一日だった。

 違うかも知れないけど、ステージ進行をしていた照明担当のおじさんが、なんか昔見たホールのお兄さん(当時)のような気がしたが、自分の説明のしようがないし、向こうもそれどころじゃなさそうなので声かけられなかった…。 
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2007/03/10
でてこい!おやじ! 「バンドマンの語り場(9379)」 [ 最近のことの日記 ]
 タイトル名は、昨日の夜9時からの『NHKニュースウォッチ9』の中で紹介された曲の題名。

 歌詞が101番まですでにある(笑)ご当地おやじソングとして話題になっているらしくなんと5分間近くもこのニュースが特集されていた。

 曲を作って、演奏しているのは『岡田良二教頭』 

 ちょうど、秋田の実力派ベーシスト兼教頭である大先輩(5コくらい上)から電話があり、なんと私たちの大学音楽サークルの大先輩(10コくらい上)が全国ネットのニュースに出るということで、この番組を見た。

 東広島市ではすでにすっかり有名らしい。

 下は中国新聞の内容。

中国新聞 全国ネットのニュースで5分以上もやるなんてそれだけでもすごいが、話題は歌詞のことばかり。私が衝撃だったのは、「歌がむちゃくちゃにうまいこと」だ。

 ニュースの音録りだから、音楽番組用の録音ではない。それなのにその歌う映像が何カ所か使われていてそれが長時間の放送に耐えうる内容なのだ。というより、「いい声だなあ」という感じで、少なくともただの教育関係者の歌ではない。

 公募もして話題の歌詞はここから見られます。

ニュースウォッチ9


でてこい!おやじ!

 ところで、その音楽サークルで合宿係だった私、サークルのお金をおろしに行くときに使った預金通帳の名義が「岡田良二」だったような気がするのだが錯覚だろうか…。今もだったらすごいな。(30年間めんどうくさがって誰も作り直さないという点で…)

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2007/06/26
やはりすごかった 「バンドマンの語り場(9982)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 「本物のロック」に生で出会った初体験は、中学時代に行った高校生のロックコンサートで『士農工商』というカルメン・マキ&オズのコピーバンドが『空へ』という曲をやったのを聴いた時だ。ロックコンサートで聴いたそのバラードは、何か遠くのいけない世界に自分を連れて行ってしまった。

 このバンドはそのうち地元以外でも有名になり、オリジナル曲をやるようになり、ヤマハのコンテストでも中国大会決勝とかに出るようになる。テレビでも見た。

 ボーカルのチリチリロン毛のお姉さんも含めて、独特なムードを持っているバンドだった。下関市内のアマチュアロックコンサートがあると友人たちと連れだって行っていたこの時期、「士農工商」が出るとなるとその期待感も違っていた。

 高校に入学した時に驚いたのは、2つ上の先輩に、その「士農工商」のキーボード、『大石学』さんがいたこと。あのバンドの人が普通に歩いていて(笑)、むしろ私よりもまともな学生生活をしてそう?な感じに驚いた。1年の時の選択音楽の授業のゲストとして、シンセ数台を弾きに来て謎のインストのオリジナル曲?をやった時も、なんだかわからずに首をかしげていた他の生徒よりは少しは楽しめたような気もした。

 その後、自分が上京して本格的にバンドをやるようになってからはすっかり情報が入らなくなっていた。ヤマハに就職したらしいという話だけ聞いてはいたが…。

 そして10年くらい前かもっと前か、ジロキチというブルースのライブハウスにかなり出ているのを見つけて、「ああ、こういう世界にまだ居てくれたんだ…」と結構感慨深かった。でも結局、店にまでは行かなかった(笑)。

 そして今日、高校の同窓会の会報みたいなものが届いてそれを呼んでいると、今年のパーティーのゲストとしてその名前があった。

 ホームページで大石学プロフィールを見て、「うわー、すごい」と驚いた。

 簡単に言うと、シングライクトーキングとか松山千春とか金子マリとかのバックで弾いているし、トリオバンドとしてもかなりの高評価を受けているようだ。

 もうなんていうか、本物中の本物というか、いわゆるジャズピアニストとしてミュージシャンズミュージシャンになっていた。ご本人のトリオのCDは毎回2000枚程度しか売れないそう(笑)で、まずはひとまず、CDを買ってみることにした。

 結構楽しみだ。

 こんなにアフィリをのせといて、こんなに運命的だと喜んでおいて、ひとまず1枚しか買わない自分が結構好きだ…。

 ところで、この高校の1年生の音楽の授業では、出席番号順にバンドを組まされ半年後にそれなりの発表をするというコンテストがあって、小・中学生の時にエレクトーンの全国大会で賞を総ナメにした…という大石さんのところはもちろんその年の優勝バンドとなったそうな。

 オチとしては、その2年後の優勝バンドのピアノとボーカルは私である(笑)。「グッバーイ、とわにー、グッバイ俺の青春ーー」と演歌のようなバラードのオリジナル曲(作詞H野君、作曲私)はとてもわかりやすいが、今思うと、たったの2年間でこんなにレベルが落ちたことに音楽の先生はお嘆きだったに違いない。

 ちなみに、私は演奏前のMC(お話)でHな話をしたという責めを個人で負って、本当に減点をされていた。バンド全員評定は「5」なのに私だけ「4」。優勝バンドは無条件で「5」というこのコンテストの伝統を初めて踏み外すのであった…。先生も大人げないなあ。

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2007/10/30
久しぶり 「バンドマンの語り場(10751)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 久しぶりにバンドでステージに上がることとなった。

 とはいえ、内輪のパーティーで、時間もセッティング込み15分(笑)。今年初めに亡くなった「お世話になった音楽関係者のおっさん」の追悼イベントである
 ステージは、一昨年にボーカルと1対1でやって以来。バンドでのステージはさらにその2年前。ってことはたぶん4年ぶり。

 20代前半のプロミュージシャンをめざした時期は、週に3回バンドのリハーサルで、週に1回はライブハウス出演…合間に毎日中学校に行って授業らしきもの(笑)を講師でやる…という毎日で、充実していたけど、それが当たり前になって、ありがたみとか新鮮みを感じなくなってきていた。

 当時のベーシスト I・ひょっとこ君はライブハウスに到着して間もなく、「今日は何時頃にあがれるかな?」なんていう盛り下がり発言をして、私と鎌倉君(仮名)を怒らせたものだった(笑)が、ステージの喜びとかを忘れた最たる例である。

 友人の結婚式の2次会とか、演奏する機会がたくさんあった時期ももうこの10年くらい過ぎ去った感あり。まわりがみんな40歳代になってきた今は、結婚しても身内だけでささやかにやっているし、むしろ離婚の方が増えてきて(笑…えないけど)演奏の機会はなし。普通、離婚記念パーティーやらないし(笑)。

 一時期は、外でソロ活動をしている後輩のバックバンドをやっていた時期もあったのだが、うちはSのことでバタバタして忙しくなり、ちょうどそのころ私は養護学校勤務に移り、通勤や仕事内容に疲れて余力全くなし…そのバンド自体が活動しなくなっていった。

 そもそも、バンドの練習に行く時間が作れないし、個人で練習するのも難しい…のが今の現実なのだが、ここらでやらないと、また数年単位で機会がなくなるだろうなあ…と思い、今回は「やる」と手を挙げたのだった。

 もともとが、大学の音楽サークル関係の追悼イベントだから、その関係者で自分の前後の代の人たちとやることがトントン拍子に決まっていったのだが、後はギターだけ…となってからメンバー決めが難航!

 みんな、見事なまでに仕事に専念していたり(笑)、それどこじゃなかったりで、「もう10年単位でギターにさわっていない(O君)」のはいい方で、「ギターそのものが家にない(S君)」、「音楽活動で家を空けることには妻が怒って目を光らせている(匿名)」、「求職中なのでさすがにその合間に出演するわけにはいかない(匿名)」、「誰も連絡先を知らない(匿名)」、「ゆずなら弾けるけどロックはもう無理かな…いずれにしろその日は部活の大会だ(O先輩)」など。

 曲決めて練習する前に、すでに面倒になってきてテンションがすっかり下がってきたのであった(笑)。

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2007/10/31
久しぶり 2 「ひとり言・・?(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨日、みんな楽器捨てていてしょうがないなあ(笑)…と愚痴っていたら、いきなり今日OKの返事があった!

 彼は今、ある意味ライバル店の店長なのだが、よくやった! えらい!

 いつかこの機会以外に、店の宣伝させていただきます。

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2007/11/03
アナログ世代 「バンドマンの語り場(10751)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 バンドで演奏する曲は、たいてい『耳コピー』する。楽譜を買うのはもったいないからである。大学の音楽サークルに入って、なるほどそれが当たり前なのかということを知った。そうでないと、楽譜なんか売っていないようなマニアックな曲は演奏できないからだ。今の時代だとなんでもありそうだが20年以上前はよっぽどのコードが難しいアーチスト(山下達郎とか)の曲でなければ使うことはなくなった。

 「100曲バンドでやってからじゃないと、オリジナル曲にうつることはゆるさん」といった先輩のことばは、今になって思うとなるほどという感じで、外で活動するようになって、オリジナルばかりやるようになってから、自分の引き出しにいろいろなアイデアとかパターンがまだまだ少ないと思うことがよくあった。

 すべて忘れたけど、バンドでも本当に100曲以上コピー(カバー)もやったし、自分でもこれはと思った曲はよく「耳コピー」するようになった時期があった。

 私はキーボードなのでやり方はこうだ。カセットテープのウォークマンに元曲をセットする。そこから耳に入れるタイプのヘッドフォンをまずする。そして、キーボードのヘッドフォンは耳にかぶせるタイプをつける。チューニングを合わせながらメロディーを弾いて、譜面に小節を書いて、まずはベースの音だけ拾って、その後にコードをとって、最後に曲中のピアノやオルガンやブラスやストリングスの音を拾って……我ながら大変なことをよくやったものだと思う。

 そのダブルヘッドフォン状態だと、だんだん正確にとれていくコードやフレーズの自分の演奏が、だんだんと元曲の演奏の中に一緒にとけ込んでいく…その感じがとても気持ちいいのだ。

 ちなみに、音とりに失敗していると、重ならないのでよくわかるのもこのダブルヘッドフォンのおかげである。

 さて、今回、恥ずかしながら、ZIGGYとかT-BOLANとかをいいおっさんたちがやることになり、以前もやったことがないから、1から耳コピーすることとなった。昔ながらのやり方を久しぶりにしようと思ったのだが……さすがに時は移ろい、当時のウォークマンは壊れていた……。

 少し前まで使っていたMDウォークマンやCDウォークマン(どちらも本当にソニーだからまちがいではない)を引っ張り出してきたのだが、使えた。最近使っているデジタル系のものに比べて、どちらも音がすごくいい。音楽関係のものが進化したようで、かえってとぼしくなったのかな…なんて思いながら聴いていたが、昔のカセットテープのウォークマンより不便な点があった。

 「ちょっとの巻き戻し」ができず、戻すと、曲の頭までもどってしまうのだ。これはまいった。ていねいに何度か聴きたい箇所があっても、そこが来るまでまたもどして待たなければならない。そのうちいやになってきてよく考えてみると、ウォークマンではなく、ステレオミニコンポのCDは「ちょっとの巻き戻し」ができることが判明した。

 そこからはまず必死で「リモコン探し」…ステレオ本体とキーボードの位置が遠いのだ。発見そして電池交換。

 さらに、ヘッドフォンコードが届かないので、かなり前にオークションで安く買って一度使ったきりの「ワイヤレスヘッドフォン」の存在を思い出し、捜索、発見、電池交換。

 かくして、やっとなんとかなったけど、昔の方が楽だったっていうのも変なもんだ。


 実は音取りの前に、「バンドプロデューサー」というCDからコードをとってくれるパソコンソフトを使ってみたのだが、これがまた大嘘が多くて、打ち出したものを参考にしようとしたら、かえって面倒なことになった。デジタルの時代、まだ全然ダメじゃん。


 さて、我が家の自閉症児Sがこんな作業の間おとなしくしているわけはない。

 私が弾いている時に、鍵盤をさわりに来ては他の音が出る。使っていた音の音色が勝手に変わる。音量が急に大きくなる。うろうろするので電波を遮断してワイヤレスヘッドフォンの音楽が途絶える。背中にぶら下がる、さらに肩の上に立つ(組み体操)。

 ヘッドフォンの耳まわりのスポンジは、おいてあった数分の間にすべて本体からはがされ、細かくちぎられていた…。プラスチックが直接当たって耳が痛い…。

 デジタル時代+うちの息子の相乗効果で、「困難に立ち向かう充実感」を味わうことのできた一日であった。この苦労は趣味を超えていた…。

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2008/01/14
祭りの後 1 「バンドマンの語り場(9839)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨年、お世話になった音楽関係者が亡くなって、でもそのライブハウスを何とか続けていこう…という奥さんや有志のつながりで店は新体制で運営された。

 その店をお借りして、「一周忌イベント」が行われた。故人は、若者が集まったりにぎやかにやっているのが好きだったので、昔の若者(笑)たちが集まって、演奏したり飲み会をやろうということになった。結果的に、音楽サークルの一大同窓会となったのである。

 8バンドくらい出る中の一つとして私たちも最高齢バンドとして出演! 当時一緒にやっていたバンドということでもなく、でもそれぞれと一度は組んだことがある…というまさに寄せ集め(笑)によるバンドである。

 そして、他のバンドがオリジナル曲や芸術的なロックや強いメッセージ性のある曲を繰り広げる中、福山雅治「HELLO!」 TーBOLAN「離したくはない」 ZIGGY「GLORIA」というあまりにもポップでキャッチーなおじさんおばさんたちの演奏は、そこそこできたり、そこそこ崩れたり、絶妙なバランスで、最高齢らしさを出せたのであった。

 実は私自身はそこそこの崩れではなく、誰もがびっくりの大崩れ(爆)。一人でエレピを弾くバラードのイントロをまちがえてもう一度やり直し、2回目にして成功。一安心して、曲中は淡々と過ぎていったのだが、そういえばもう一度エンディングで同じ部分があったのだ…と最後になってまた心が固まってしまい、余韻を残してまちがえる(合っていたのは弾いたコードの数だけで、一つ弾くたびに終われない深みにはまっていった)のであった。

 こんなに詳しく書くのは、このブログを見ている人でこの演奏を聴いてしまった人もいるからなのだが、そうなるとさらに言い訳を続けると、もともと原曲の左手のアルペジオがどうも自分にはしっくり来ていなくて、なんていうか自分の「手癖」とあまりにも違っていたので弾くのに苦労するだけではなくて、途中で次のコードが出てこなくなる(転調したような感覚)になっていたのだ。この数年、人前で一人で弾くたびにうまく弾けないので、今回はここだけがポイントだ…とこの1週間、一日2回は練習していたのだ!

 まあ、これが多いか少ないかは別にして(笑)、リハーサルではいっぱいいっぱいながらもなんとか弾けたので、自分では満足!…たぶん他の要素が出てくる(緊張とか、かえりの音が聞こえにくいとか)本番はまちがうだろうなあ…と思っていたのでまちがった瞬間もそんなに本人は驚かなかったのである。

 ということで、バンドのメンバーには申し訳なかったのだが、努力はそれなりにしていたので、まあしょうがないなあ俺も…これ以上は良くならなかっただろう…とあまり後悔や反省をしていないのであった。

 いや、反省は、今後バンドをやるときは、一人でバラードを弾くような場面を作らない! もしどうしてもそういう曲が避けられない時は、ステージが広めの店ならツインキーボードでS保さんにピアノを任せる!…狭い時は交代してその曲だけ人に任せてステージの袖に(笑)…。

 さて、今回久しぶりにバンドで人前で演奏してみて、昔と違うなあと思ったことが2点。

 ひとつは、余裕がなくなっていると「ごまかせなくなった」こと。以前は「まちがえなかった」わけではなくて、まちがえそうになったらとっさに左手だけにしてその1音ははずさないとかそういう「ごまかしテクニック」が上手だったのだが、今は思い切りだけはいいのだがその音が違っている(泣)ので、結果的にはっきりとまちがってしまうのだ。

 もうひとつは、本気で外で活動をしていた頃は、バンドの練習(週3日)が本気な分、つらい厳しい時間で、ライブ本番が解放された楽しい時間?というような感じだった。今は本番を楽しみきれないこともさることながら、だんだん弾けてきて、だんだんまわりの音が聴けるようになってきて、その音がだんだんまとまっていって…とバンドの練習がとても楽しかった。同じことをバンドのメンバーも、今回参加した他のバンドのメンバーS木も語っていたので、「音楽っていいなあ」と結構純粋に思えたのであった。

 演奏は終わったが、宴はこの後もまだ続いていく…。

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2008/01/15
祭りの後 2 「バンドマンの語り場(9839)」 [ 最近のことの日記 ]
さて、第1部のライブが終盤にさしかかると100人以上がギュウギュウに入るような大盛況。半分は同窓会気分で来た人たちだとしても、こんなに人が集まるなんて、大家のおっさんも幸せな人だな…と思った。

 この中の半分以上の人が、「ああ、あの人がいたから何年もたった後にこんな機会が生まれたんだもんなあ」と少しは思ったであろうと考えるとなんだかすごい。

 最後はなかなかに有名だった二つのバンド。CASHの「それから…」(イカ天で勝ち抜いた曲)を聴いているとタイムスリップした。

 Water Pic Manの鎌倉君(仮名)の歌う、「僕はゆるやかにのぼっていく」(一応それなりのレーベルから発売もされた)の時、最後にシャウトしているところでちょうど上記のことを考えたこともあって、感動してちょっとブルブルッと来た。悔しいから本人たちには言わないけど(笑)。

 演奏後は、店を貸し切ってのほぼ昔のコンパ状態。懐かしい顔ぶれと話すのも楽しかったけど、ムードそのものが懐かしいというか、お酒は持ち込みというかOBからの強制差し入れで、いろいろおいしいのがそろっているのに結局その辺の焼酎をそのまま飲む羽目になったり、そのうちそこら中に酒がこぼれたり食べ物こぼれたり、人が転がっていたり(笑)…昔の大学の教室での飲み会(今は貸し出さないようだけど)が移ってきただけなのであった。とりあえずこの日のメンツでは上から2番目の学年で良かった…。

 演奏するから楽器の運搬で車が必要、でも飲み会で酒を飲まないのは不可能…と思ったので、ビジネスホテルをとっていた私は完全戦闘モードで飲めたのだが、12時前後か、中央よりの席で飲んでいて、ふと後ろを振り返ったら人がほとんどいなくなっていてびっくり! みんなちゃんと大人になったのか、各自の終電で帰ったようで、100人はいつの間にか15人くらいになっていた。減ったことに驚いたのではなく、その時までたくさんの人があいさつして帰っていったことをあまり覚えていない自分にびっくり。

 そして宴の後の掃除をする選ばれし15人の一員となったのであった…。といいつつあまり働かなかったが、その後、追悼されているおっちゃんの奥様や現ライブハウス店長さんなども加わって小さく飲み会開始。これは3次会か…。

 そんな中、帰巣本能が弱くて終電を逃したHまん先輩、ジャンパーをさがして、楽屋の中までごそごそしていた。私も一緒にジャンパーを探したが、他にも鎌倉君など数人を動員しての捜索は、ほんのさっきまでHまん先輩の座っていたイスにかけたままの服を見ての「これとは違う服なんですよね?」というSーちゃん(探さずにくつろいでいた後輩)のひとことで終わりを告げた。

 かなり来ていたHまん先輩、私と一緒に夜中の2時にビジネスホテルに移動し、
以前チェアテニスのプレイヤーで紹介したH選手の部屋(一人だけどツイン)でさらに少し話した後、その部屋のベッドに無事収まり何よりでした(笑)。

 翌日は宿泊したメンバーと朝食・昼食を食べてから解散。

 この2日間があまりに楽しくて大学生時代にタイムスリップした気分だっただけに、自宅まで車で1時間半…その間に元の世界に帰ってしまうと、「週末だから、掃除機がけを私がしなくてはいけない」 「Sが1階に行っているうちにやらなければ…疲れているけど今すぐだ」という日常が突然やってきて、祭りの後は余韻に浸る間もなく過ぎていくのであった…。

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2008/01/23
Na Na Na 「バンドマンの語り場(10151)」 [ 最近のことの日記 ]
 今回のバンド練習の際に、各自が録音できないので、私がMDで録ったものをMP3に編集して、ヤフーのブリーフケースに入れて公開する…という方法でメンバーが聴けるようにしていた。

 なんだかとても現代的(笑)である。

 そこでふと思いついた。

 レコード会社23社(当時)協賛、グランプリ副賞はレコードデビュー!!という1988年 Do Music Festivalを制しながらも、その後、謎のビデオが発売されたのみで事務所を去り、ケンカ別れで副賞をもらえなかったBUCK BEATの音源を公開してみよう…と今さらながらやってみた。

 当時ちゃんとしたところ(渋谷エピキュラス)で、ちゃんとしたミキサーさん(加賀さん)に録ってもらったデモテープ…だったのだが、デジタル化は想定しておらず、MP3にすると音やせもすごいし、ボーカルの声も少し別人。ギター中心のバンドなのにその音はシャカシャカノイズのようになり、ひそかに入っていた程度のキーボードが聞こえまくり…と何か違うのだが、まあいいかと。

 別に今の時代に合っているわけでもないし、かといって当時も合ってなかったし(笑)、本人たちとしても今となっては少し恥ずかしい感じもあるので、「今さら何を…」という感じなのだが、とりあえず実験的に2曲ほど入れてみたので、少しでも興味のある方、聴いてみてください!

 当時カセットテープで手売りされていただけですが著作権は一応作詞作曲者(平安利也)と編曲者(私も含めてバンドメンバー)にあります…って誰もどうこうしませんね(爆).

http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/nanoarubusyou/lst?.dir=/%a5%de%a5%a4%a5%c9%a5%ad%a5%e5%a5%e1%a5%f3%a5%c8/66ae&.order=&.view=l&.src=bc&.done=http%3a//briefcase.yahoo.co.jp/bc/nanoarubusyou/lst%3f%26.dir=/%25a5%25de%25a5%25a4%25a5%25c9%25a5%25ad%25a5%25e5%25a5%25e1%25a5%25f3%25a5%25c8/66ae%26.src=bc%26.view=l


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